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ボクとBBSとの関わり
久しぶりに、ニフティーというBBSを覗かせていただいた。思い起こせば、それこそ今から30年ほど前のことで、今から考えるとすっごく通信回線スピードの遅いモデムを使って、パソコン通信を始めたボクが居て君が居た(^o^)時代である。当時は、富士通系のニフティーとNEC系のビッグローブが2大巨頭として君臨していた。設定もボクには大変だったが、NEC系は表示画面にくせがありなじめず、自然にニフティーに立ち寄ることが多くなった。
しかし、どちらも非常に幅広いテーマのフォーラムをたくさん抱えていたので、ビギナーにはやや敷居が高い場所でもあったのだ。ボクの場合は、時を同じくして、角川出版のゲーム雑誌「コンプティーク」の編集部に友人がいたので、まずその「コンプティーク」のBBSから始めることにした。でも、ゲームは好きだが、ここに集まってくる奴らほどのめり込む方ではなかったので、そのうちにここもどんどん遠のいてしまった。
その後、朝日新聞の告知で「ASAHIパソコン」の創刊とビギナーを対象にした運営を謳っていた「ASAHIネット」の立ち上げを知り、ここに参加することにしたのだ。
ここでBBSとの関わり方をいろいろと学ばせてもらったが、そうこうしているうちに「シネマクラブ」という会議室のモデレーター(管理者)に選任され、数年ほどギャラをもらいながら運営させていただいたのだ。多分その会議室には、キネマ旬報やロードショー、スクリーンといった映画雑誌のフリーライターの方々がたくさんいらっしゃったと思うが、ずぶの素人が一著前にいわゆるシスオペをしていたわけである。今から思えばよき思い出である。
眼鏡業界編
ちょっと補足すると、NEC系は今分かる名称でビッグローブとしたが、当時は「PC−VAN」と言っていた。「ニフティー」と「PC−VAN」と聞いただけで、めっちゃなつかしい年代の方もいることと思う。
そして「シネマクラブ」でモデレーターをしている頃、メガネ店の有志ら数名が中心になってメガネ店のための会議室が「ニフティー」の中に出来た。当時、私が務めていた業界紙でも大々的に告知のお手伝いをさせていただいた。この頃が多分BBSの黄金時代と言えるだろう。毎日毎日、何等かの書き込みがあり、それに対して返事をしたりということが続いたと記憶する。
しかし、時代の進歩は早い。すぐにインターネットの時代がやってきたのだ。BBSというのは、その運営する会社の会員にならなければ、さまざまなサービスやフォーラムに参加できないし、メールでのやり取りもできなかったのだ。それがインターネットになると、そんなものに縛られずに相互のコミュニケーションを図ることができる。さぁどっちがお得かよぉーく考えてみよう・・・と考えるまでもなく、ユーザーはどっとインターネットの利用に流れたのだ。
そこで我々もインターネット上に「眼鏡WEB」というホームページを開設。そしてコミュニケーションの手段は「メーリング」というシステムを採用した。インターネットの時代になり、このメーリングと掲示板という機能が身近なものになったような気がする。
ボクは、それほどパソコンに詳しいわけでないので、今ブームのSNSというのは、このメーリングや掲示板が発展したものという、非常におーざっぱな解釈をしている。便利さにおいては、確かにSNSは便利だが、やっていることはそれらに近いという印象を持っているからだが、年齢と共にそろそろ新しいものへの関心度が薄れ、次第に仕事上でインターネットを利用するだけになってしまった。
その後、同年代の方のお勧めでSNSをはじめ、現在に至っております。
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